スポーツファンの皆さん、こんにちは!Webライターの中村夏帆です。普段は海外サッカーの日本人選手の戦術分析などを中心にお届けしていますが、今回はちょっと胸がザワつく…そんなニュースが飛び込んできましたね。
岐阜県の高校フェンシング、インターハイ予選での「故意の負け」問題。 報道を見て、「え、そんなことって…」と驚いた方も、「うーん、気持ちは分かるけど…」と複雑な思いを抱いた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
今回はこの問題について、一体何が起きて、なぜこんなことになってしまったのか、そして私たちスポーツを愛する者として何を感じ、考えるべきなのか、皆さんと一緒に深掘りしていきたいと思います。
岐阜高校フェンシング「故意の負け」事件とは?発覚の経緯
まず、一体どんなことが起きたのか、改めて整理してみましょう。 今回の件、本当に驚きましたよね…。
舞台となったのは、2024年5月10日に行われた岐阜県の高校総体、フェンシング競技の女子エペ個人戦でした。 報道によると、この予選リーグの最終戦、同じ高校に所属する選手同士が対戦したんですね。 片方の選手はそれまで全勝していて、既にインターハイ出場はほぼ手中に収めている状況。もう一方の選手は、この試合に勝てばインターハイ出場が決まる…そんなシチュエーションだったと言われています。
結果、全勝だった選手が敗れ、勝ったチームメイトもインターハイ出場権を獲得。 ここまでは、まあ、あり得ることかな…?とも思えますが、問題はその後。 なんと、勝った選手の関係者が、敗れた選手に対して「負けるよう頼んでいた」という事実が明らかになったんです。
これを受けて、岐阜県高校体育連盟のフェンシング専門部は調査を行い、「フェアプレーの精神に反する行為が確認された」として、この試合結果を無効とし、再試合を行うことを決定しました。 関わった選手や関係者に対しては、今後の調査結果に基づいて適切な処分を検討する、としています。
◆◆フェンシングの競技規則では、意図的な敗北や試合の操作、相手選手との共謀などは明確に不正行為とされ、試合結果の無効化や出場停止処分などが科される可能性があります。◆◆
まさに、このルールに抵触する可能性が極めて高い事案、ということになりますね。
SNS炎上!「チーム戦略」か「八百長」か?飛び交う賛否の声
このニュース、SNSでも本当にたくさんの意見が飛び交いました。 皆さんは、どんなことを感じましたか?
「2人出場のためなら…」チーム戦略として容認する声
まず、「チーム戦略としてあり得る」「気持ちは分かる」といった、ある種の理解を示す声も少なからずありました。
「同じ学校の仲間をインターハイに一緒に行かせたい、その気持ちはすごく分かるなぁ…」 「高校生だし、仲間意識が強ければ、そういう判断になっちゃうこともあるのかもしれない。」
といった感じで、行為そのものを全面的に肯定するわけではないけれど、その背景にある選手の友情やチームへの想いを汲み取ろうとする意見ですね。 確かに、仲間と一緒に大きな舞台へ!というのは、部活動の美しい一面でもありますから…。
「フェアじゃない!」倫理観や教育的観点からの批判
一方で、やはり「これはダメだろう」「フェアプレー精神に反する」という厳しい意見が多数を占めました。
「どんな理由があっても、故意に負けるなんてスポーツマンシップに反する!」 「教育の場でこんなことがあっていいの?指導者は何をしていたんだ!」 「これはもう、八百長と言われても仕方ないレベル。」
こうした意見は、スポーツの公正性や、特に教育的側面を重視する立場からのもので、当然の反応だと感じます。 勝負の世界ですから、正々堂々戦ってこその感動がありますもんね。
◎◎SNSでは、「選手がかわいそう」「大人のプレッシャーがあったのでは?」といった、板挟みになった選手たちの心情を慮る声も多く見られました。◎◎
本当に、当事者である高校生たちがどんな気持ちでいたのかを考えると、胸が痛みます。
「選手が可哀想」板挟みの高校生たちへの同情と懸念
そして、やはり一番多く聞かれたのが、当事者である高校生たちへの同情の声でした。
「負けを頼まれた選手も、頼んだ側の選手も、どっちも辛い立場だったんじゃないかな…」 「まだ高校生なのに、こんな難しい判断を迫られるなんて、あまりにも酷だ。」 「大人の誰かが止めるべきだったのでは?」
指示があったのか、あるいは選手たちが自主的に判断したのか、詳細はまだ不明な部分もありますが、いずれにしても、この若さでこのような状況に置かれてしまった選手たちの精神的な負担は計り知れません。
なぜ「故意の負け」は起きたのか?専門家も指摘する3つの背景
では、なぜこんな悲しい出来事が起きてしまったのでしょうか。 個人の問題として片付けるのではなく、その背景にある構造的な要因も見ていく必要がありそうですね。
1. 勝利至上主義が生む「グレーゾーン」への誘惑
まず考えられるのが、高校スポーツにおける「勝利至上主義」の影です。 「勝つことが全て」「結果が第一」という価値観が強すぎると、時にフェアプレーの精神が揺らいでしまうことがあります。
もちろん、勝利を目指して努力することは素晴らしいことです。でも、それが度を越すと、「勝つためなら多少のことは…」という**「グレーゾーン」への誘惑**が生まれてしまうのかもしれません。 特に、インターハイのような大きな大会の出場権がかかっているとなれば、そのプレッシャーは相当なものだったでしょう。
2. 指導者・大人の関与と責任:選手は被害者か?
今回の件では、「勝った選手の関係者が敗れた選手に負けるよう頼んだ」と報じられています。 この「関係者」が誰なのか、指導者がどこまで関与していたのかはまだ調査中ですが、もし大人が主導していたとしたら、これは非常に深刻な問題です。
選手たちは、指導者や周囲の大人の影響を強く受けます。 もし「勝つためにはこうするべきだ」という指示があったとしたら、高校生がそれに逆らうのは難しいかもしれません。その場合、選手たちはある意味で被害者と言える側面もあるのではないでしょうか。
スポーツ倫理の専門家からも、「指導者が不正行為を指示することは、指導者としての責任を放棄するもの」という厳しい指摘が出ています。
3. 大会運営・ルールの隙間:総当たり戦の落とし穴
そして、大会の運営方法やルールにも、一因があったのかもしれません。 今回の予選は、6人による総当たり戦だったと報じられています。総当たり戦の場合、最終戦の組み合わせによっては、今回のような「談合」が起こりやすい状況が生まれてしまうことがあります。
例えば、最終戦で同校対決が組まれ、その結果次第で両者が出場できるとなれば…。 もちろん、だからといって故意の負けが許されるわけではありませんが、運営側も、そうした事態を未然に防ぐための工夫が求められるのかもしれませんね。 組み合わせの順番を考慮したり、場合によってはトーナメント方式を導入したりすることも、今後の検討課題と言えるでしょう。
他のスポーツではどうなのか?「戦略的敗北」と高校スポーツの倫理
こういった「戦略的な勝敗の調整」って、他のスポーツでもあるんでしょうか? そして、それが高校スポーツで行われた場合、何が特に問題なのでしょうか。
プロの「戦略」とアマチュアの「教育」:境界線はどこに?
確かに、プロスポーツの世界では、消化試合で主力を温存したり、決勝トーナメントの組み合わせを考えて戦略的に順位を調整したり…といったことが、全くないわけではありません。 例えば、2012年のロンドンオリンピックのバドミントン女子ダブルスでは、複数の国のペアが決勝トーナメントで有利な組み合わせを得るために意図的に負けようとしたとして失格になる、という衝撃的な事件もありました。
しかし、プロの世界と、教育の一環でもあるアマチュア、特に高校スポーツを同じ土俵で語ることはできませんよね。 高校スポーツには、競技力向上だけでなく、フェアプレーの精神や人間形成といった「教育的価値」が強く求められます。 勝利も大切ですが、それ以上に大切なものがあるはずです。
★★「勝てば官軍」という考え方が、もし高校スポーツにまで浸透しているとしたら…それは非常に残念なことです。★★
選手の将来を考えたとき、目先の勝利と引き換えに失うものがあまりにも大きいのではないでしょうか。
フェンシング競技規則ではどうなっている?「共謀」の扱い
ちなみに、フェンシングの競技規則では、今回の件はどう扱われるのでしょうか。 前述の通り、意図的な敗北や共謀は明確に「不正行為」とされています。 具体的には、「共謀して利益を得る、または相手を有利にする行為」として、最も重い罰則である「ブラックカード(失格・退場)」の対象となる可能性が高いです。
ルールで明確に禁止されている以上、今回の行為は「戦略」とは呼べず、やはり**「違反行為」と判断されるべき**なのでしょう。
再試合決定も…選手たちの心のケアと今後の課題
今回の件を受けて、再試合が行われることになりました。 でも、一度こういったことが起きてしまうと、選手たちの心には大きな傷が残る可能性がありますよね。
特に、負けを指示された選手、そしてその結果「勝たせてもらった」形になった選手。 どんな気持ちで再試合に臨むのでしょうか。 周囲の目も気になるでしょうし、精神的なプレッシャーは計り知れません。
関係者には、まず選手たちの心のケアを最優先に取り組んでほしいと切に願います。 そして、今回の問題を個別のケースとして終わらせるのではなく、高校スポーツ全体の問題として捉え、再発防止に向けた具体的な対策を講じていく必要がありますね。 指導者への倫理教育の徹底、大会運営方法の見直しなど、やるべきことはたくさんありそうです。
【総括】フェンシング「故意の負け」問題が私たちに問いかけるもの
さて、ここまで岐阜県の高校フェンシングで起きた「故意の負け」問題について、皆さんと一緒に考えてきました。
この一件は、単に「どちらが悪かった」という単純な話ではないように感じます。 勝利至上主義の影、指導者の責任、大会運営のあり方、そして何よりも、スポーツを通じて何を学ぶべきなのかという根本的な問いを、私たち一人ひとりに投げかけているのではないでしょうか。
スポーツは、私たちに感動や勇気を与えてくれる素晴らしいものです。 その輝きが、一部の誤った判断によって曇らされることがないよう、選手も、指導者も、そして私たちファンも、常にフェアプレーの精神を胸に刻んでいきたいですね。
今回のニュース、皆さんはどう感じましたか? ぜひ、この機会にスポーツのあり方について、少し立ち止まって考えてみるのも良いかもしれません。